【旅行記】>>その1 >>その2 >>その3 >>その4 >>その5 >>その6 >>その7 >>その8 >>その9 >>その10 >>その11 >>その12 >>その13 >>その14 >>その15 >>その16 >>その17 1 旅行記 成田からの直行便、ウズベキスタン航空 ボーイング767機は、順調に9時間の旅を続け、首都タシケントへ到着。人口250万人を擁するタシケントには、地下鉄が3本も走り、片側3車線の道路の両側は、サマルカンドの新市街同様、マロニエや鈴懸の木が植えられ、旧ソ連が心血を注いだ近代都市に変貌している。 人口3,100万。中央アジア5カ国の人口半分を占めるウズベキスタン(以下ウズベク)は、石油・天然ガス・金・希少金属を持ちながら、国民の豊かさはこれから、という国である。世界の自動車生産国といえば、いずれも人口5,000万以上である。例外はオーストラリアであったが、採算のメドガ立たず、トヨタを最後に全メーカーが撤退することになった。幅広い裾野産業を必要とし、自動車部品企業も何千(何百ではない)と必要としているからである。もう一つの例外が、ウズベク。GMが旧大宇(破産した韓国メーカー)の工場で年25万台生産し、そのうち45%をロシアはじめ他の中央アジア4カ国へ輸出。ロシアでは、ウズベキチカと呼ばれ愛されているようだが、果たして採算が成り立っているのだろうか、と心配になる。 全人口のうち、80%がウズベク人だが、民族は120以上。1991年に独立したこの国、人口の40%が若い人である。アクレサンダー大王が称えた美しいオアシス都市群。その後、チンギス・ハーンによって破壊しつくされたが、交易によって再建。ペルシャ系が加わって、街を歩くと笑顔が美しい西欧系の美人が多い。笑顔といえば、おばあさん達。金歯をキラキラさせて盛んに話しかけてくる。ウズベク語で話しかけてくるので、英語や日本語で応えると、また話が弾む。但し、内容はわからない。しばらく笑顔で話をし別れる。 ジャーナリストの嶌(しま)信彦さんが手弁当で始めた日本ウズベキスタン協会。創立15年を迎え、ヒワ・ブハラ・サマルカンド世界遺産紀行として、5月9日〜16日まで8日間の旅。嶌さんの他に13名の善男善女が旅を続けた。久々の団体旅行だが、団員それぞれに豊かな人生を過ごして来たと思わせるものがあった。480キロの砂漠を走ったバス、3時間の急行列車、2時間の新幹線、そして食事の席。席を替え、お互いに交流しながら旅を続けた。 過去の栄光、苦難を感じさせながらも、それにしがみつくことなく、誇ることもなく、たまに湯の出ない風呂や電球の切れた部屋をも楽しむ風情で乗り切る人生の達人達といった旅であった。 (寄稿者:大高 英昭) 2014年06月22日(新規掲載) |
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