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■9月21日(日)晴 14℃ 50% カラコル→アルマトイ(カザフスタン) |
05:00 |
鶏鳴で目覚める。朝を告げる雄鶏の鳴き声は懐かしい。窓の外は暗い。 |
07:05 |
朝食、パンケーキ2枚に生クリームとジャム、無塩バターも。添乗員が様子を見にきてお粥のないのに気づく。統一メニューで粥の炊き方は伝授したというのに。
娘は「出来損ないで…」というので、見に行ったら「水分が足りないがちゃんとお粥になっている」との報告。すぐ小丼にたっぷり入ったお粥が出てくる。まあまあの出来だった。梅干しや振りかけがありがたい。
母と娘が「ボナペチー」(フランス語で直訳すると「良い食欲を」、美味しく召し上がれの意)と声をかけてくれる。しかし、昨日のティータイムからのパン類は手つかずのまま残ってしまった。大ぶりのグラスに分けられた牛乳に誰も口を付けなかった。昨夜よく眠れなかったためらしい。 |
08:10 |
出発、家族全員と近所の人が手を振って見送る。気持ちの良い交流だった。日曜なので露天市がずらりと並び、住民が群がる。カラコル大学を通過して、ホテル・アミルと書かれた小さな建物で弁当を積み込む。広場にレーニン像が立っている。A363号線を北上する。4車線道路だが、中央2車線だけ仮舗装。 |
08:45 |
大きな川の橋を渡ったところで撮影と青空トイレのストップ。河岸段丘が浸蝕されていて景色が良い所だ。 |
09:05 |
出発。3,000m級のキュンゲーアラトー山脈の裾野を越えて、隣国カザフスタンのアルマトイまで400kmのドライブが始まる。間もなくチュープの町で右折してA362号線を東に。川を渡ると左は禿山が続く。黒い仔馬が道路を横切りバスはストップ。 |
09:35 |
工事中、畑で大勢の人がビートの収穫をしている。禿山の稜線にバリカンで刈り残したような針葉樹林が出てきた。天山樅だ。樹高40mという。右の川の対岸に広大な放牧地となだらかな丘陵が続く。上り坂になり、山を降りて里に帰る牛馬や羊の大群が進路をふさぎ渋滞する。左側には緩やかな裾野に酪農家が点在し、大きな畜舎が連なるが、家畜はまだ放牧中のようだ。右下は川が蛇行している。河川敷は黄葉した潅木林。 |
10:10 |
トイレ休憩、もちろん青空だ。女性が潜む林に、はぐれ牛が入り込みカウボーイや番犬が追って来るので、落ち着かない。次々に放牧家畜の大群が来るので、20分の長い休憩になる。馬から降りた牧夫とバス・ドライバーが雑談を交わす。 |
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<ガイドの話>
1 羊1頭の売値は100ドル、牛は500〜800ドル、馬は1,500〜2,000ドルする。牧草地への放牧料は馬1頭1ヵ月100ドル。
2 今ここにきた馬の群は300頭、2泊しながら100km移動してきた。あと80km歩いて村に帰すと言っていた。 |
10:55 |
検問所を通って自然保護区域に入る。26℃、34%。遥か右前方に伝説の丘の石垣を望む。チムール皇帝が出陣した時、ここに1人1個の石を積ませ、ぶじ凱旋した時、生存者はその石を持ち帰った。戦死者の石がここに積まれたまま塚になったという。
中央アジアステップ地帯に入り、目の届く限り広大な草原が続く。放牧の家畜が点々と蟻のようだ。小川が流れ、コンクリートの堀にも水がある。水飲み場だ。トレーラーやフェルト小屋があちこちにある。遊牧民のキャンプだ。 |
11:25 |
青空トイレ、遮るものがない大自然に溶け込む。 |
11:45 |
道路の前方にゲートが見える。周囲は草原。キルギス—カザフ国境である。国境らしいのはゲートと税関小屋だけで、フェンスも監視塔もない。白い石で縁どられた小道の先に小さな小屋が1つ、職員のトイレらしい。
ガイドが旅券を集め提示する。迷彩服の兵士がバスに乗り込み、1人が銃を持って警戒する。バスのスーツケース庫を開けて点検した。車内でカザフスタン入国カードにサインする。 |
12:15 |
出国OK、バーが上がる。続いてカザフ側の入国チェックが始まる。カザフ側から乗用車が1台、5人が出てくる。タッチの差でこちらが優先された。しかし、敵もさるものすきあれば割り込もうとする。一人一人パスポートと入国カードをチェックしてパソコンに入力し、顔写真も撮るから時間がかかる。円筒形カメラのシャッターはPCマウスをクリックするだけ。兵士にスーツケースもチェックされた。それでも40分で済んだのは早い方だという。 |
12:55 |
無事国境を通過して、250km先のアルマトイを目指す。 |
13:05 |
大草原でのランチ休憩35分。22℃、日差しは強いが風は冷たい。ピクニック弁当は、ポリ袋に入ったチーズとハムの固いサンド1つずつ、トマトまるごと1個、短い胡瓜が1本、リンゴ1個、ゆで卵、オレンジジュースとチョコバー。 調理してない野性的なメニューだ。 終わって牛馬糞のある草原でトイレ。 |
<ガイドの話>
1 中央アジアの遊牧生活は紀元前2世紀ころから始まる。年数十回場所を変え数千km移動する。キャンプ地は種族ごとに決まっていて、かち合わないから争いにならない。
2 昔は自由に移動できたが、今は自動車道路や国境で遮断されるようになった。
3 1組の構成は、牧夫7〜10人、井戸掘り・除雪作業員20人、犬多数で羊2万頭、馬8,000頭、ラクダ400〜500頭だった。天災が多く苦しい旅になった。
4 3月21日はジュットというイスラムの正月祭りで、クックブル(青き狼)競技が盛大に行われる。騎馬の牧夫が2手に分かれ生贄の山羊を奪い合う。 |
14:50 |
A352号線の下り阪を峡谷地帯へ。グランドキャニオンを小型にしたようなシャインキャニオンの浸蝕沈降崖だ。屈曲した下り坂が続く。道路整備がよくなり、舗装路にセンターラインが引かれる。標識も出てきた。交通量が上下線とも増える。
オアシスのような小集落を過ぎると、山峡は土砂崩れがひどく、防砂フェンスが続く。 |
15:40 | 青空トイレ15分。近くにバス停あり。 |
<ガイドの話>
1 カザフスタンはユーラシア大陸でロシアに次ぐ2番目の広さ、東西3,000km、南北2,000km、271万平方キロ。世界でもロシア、米国、カナダ、中国、ブラジル、アルゼンチンに次いで7番目だ。
2 西のカスピ海岸も入れて国境線の長さは14,500km、うち陸地は12,187kmで、ロシアと6,467km、中国と1,460km隣接する。国土の44%は砂漠、26%は大草原、山岳地帯は10%。
3 北部はロシア人が多く鉄鋼、石炭産業と重工業が盛んだ。南部はカザフ人が多く、農業特に綿花栽培、東部は軽工業とレアメタル、金属鉱山で亜鉛とタングステン生産は世界一、西部は石油、天然ガスを産出する。家畜酪農、穀物生産の余裕はある。
4 寒暖の差は激しく、夏は45℃、冬はマイナス45℃になる。
5 キルギスとは兄弟民族で相互にビザなしで往来し経済的に応援している。ロシアの国籍を持つ者が10万人、出稼ぎが50万人いる。最近、カザフスタンの石油、天然ガス輸出で景気が良くなり、ロシアに強腰で出るようになった。経済面では良好な関係が続く。カザフスタンは旧ソ連の核実験場だったので被爆者がいる。国民は米国嫌いだが政府はあいまい。
6 2006年に小泉首相がカザフスタンを訪問した。ウランの資源外交の一環だ。ウランはキルギスも埋蔵量が多い。 |
17:10 |
反対側に駐車していたパトカーに捕まる。キルギス・ナンバーのバスでスピード超過だったが、話し合って解決した。ポプラ並木の下で露天市がにぎわう。そのひとつで夕食のデザート用にメロン(まくわ瓜)と西瓜を仕入れる。 |
<ガイドの話(質問票に答えて)>
7 キルギスの教育は、キルギス語のほかロシア人の多いところはロシア語も、キルギス人以外もロシア語だし、大学教育はロシア語だからキルギス人は苦労している。小学校では英語を教え始めた。
8 社会保障は、年金受給が女58歳、男62歳、平均30〜40ドル。月収は50〜200ドル、田舎は100ドル。生活費は夫婦と子供1人の都会の家庭で200〜300ドルかかる。旧ソ連時代の健保は今も使えるが、入院手術には金がかかる。
9 女性の職場は秘書、メール係が普通で、外国企業にも雇われている。役人は少ない。
10 娯楽といえば、集まってウォッカを飲みながら騒ぐのが好きだ。運動はスキーが多い。旅行は、上流階級はバンコクとか欧州など外国に行くが、数は少ない。
11 若者の離婚は増えている。若いうちに結婚するからお互いによく知らない。親の脛かじりが多く、一人立ちできない。カザフスタンにも花嫁盗みがある。結婚式は、リムジンを借りて市内の記念写真スポットを回りカメラマンに撮影してもらい、夕方レストランに集まって祝福する。費用は新郎側が持ち、祝儀袋は1,000ソムが相場だから赤字になる。
12 ローン制度は最近できたが、金利が高いから普及していない。仕事が安定していないから月々は返せない。
13 地震は年に何回か起きる。キルギスでは昨年12月に家が崩れる震災があった。天山山脈の造山運動で年1mmずつ伸縮している。
14 カザフスタンではレーニン像は見られない。悪いイメージを持っているわけではないが、民族意識が強いから。
15 グルジアとロシアの戦争について、キルギスの見方は、ロシアがまた大国になりそうだから米国がグルジアの背中を押したためと見ている。 |
18:00 |
スタンドで給油する。レギュラー36リッター3,000テンゲ(3,000円)。気温20℃。 |
18:35 |
アルマトイ市街、夕日が沈み西空は真っ赤に彩られる。中央分離帯に並木が2列に並ぶ。日独仏韓国車ディーラーの瀟洒な店が続く。小松の店まである。 |
<ガイドの話>
1 アルマトイは10世紀のシルクロードの町で、モンゴルの侵略を受けた。150年前ウエルニーと呼ばれ帝政ロシアの要塞都市となった。1874年にロシアからリンゴの苗が持ち込まれ、品種改良でアポルトという有名な果実が採れるようになった。
2 1927年.カザフスタン共和国の首都となりアルマアータと名づけた。1991年に旧ソ連から独立しアルマトイ(リンゴの父)と改称し、北部に黒川紀章が設計した新都アスタナに1997年遷都してからは商業都市として繁栄を続けている。 |
18:52 |
ホテル・オトラルに着く。すぐレストランでビュッフェ形式の夕食。ビール3ドル、ウォッカ2ドル。メニューはスープ2種、サラダ多種、肉類は牛、羊、鶏、魚は白身のフライ。途中で買ったフルーツのデザート、チャイ。 |
20:05 |
チェックインして部屋に入る。旧ソ連時代のフロアレディがいる。設備は一応整っているから、前夜のホームステイに比べ満足して眠れる。
ミニバーに飲み物がそろっている。コニャック800テンゲ、ワイン600テンゲ、ハイネケンビール400テンゲ、ウォッカ300テンゲ、地ビール200テンゲ、コーラ130テンゲ、ミネラル水100テンゲ。TVチャンネルは全部で17、英語ではBBCとCNNがある。 |
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