協会の活動状況・会員からの寄稿


【創立15周年記念旅行】フォトアルバム+旅行記公開
トルクメニスタン世界遺産紀行


【旅行記】
1 トルクメニスタン印象記
 入国手続はIT化、税関申告は今でもアナログです。多くの国では、税関申告の簡素化が進行中ですが、まだ、ウズベキスタンでは面倒な旧ソ連式が残っています。難しいのは数字を英単語で表記することです。英語力が試されます。事前の勉強が要ります。トルクメニスタンはやっと申告が英語表記になりましたが、よく変わるので、2017年にアジア大会開催までには、かなり簡素化するのでしょうか。興味あるところです。

 5月9日はソ連時代の対ドイツ戦勝記念日です。今日では,自国の戦死者の追悼記念日で、休日です。かつてのホラズム王国の首都クナフウルゲンチでは戦没者の慰霊碑参拝のほか、人気の廟やモスクに参拝するのが習わしになって、特徴のあるモノトーンのワンピースを着た女性が老いも若きも連れ立って来てました。思いのほか、特に若人はフレンドリーで、一緒の写真撮影を旅行メンバーに求めていましたし、撮影に気楽に応じてくれました。

 毎日曜日に全国各地で開催される競馬は、ギャンブルの対象ではなく、トルクメニスタンの誇るアハルテケ種のまさに競馬(キソイウマ)は、国民的娯楽です。それこそ老若男女観戦に、高校生とかが、学校単位で来ていました。出走馬で、大統領の持ち馬はほぼ全部1位で、さらに、大統領が騎乗の馬は当然、勝ち馬になります。アハルテケ種は汗血馬の子孫として国の財産とされ、大事にされていて、馬体は優美です。 又、首都アシガバード郊外の牧場でみた大型の牧羊犬や家猫までも飼いならされており、遊牧民の血を引く国民として、動物の飼育能力は高いと感じました。

 メルブは長い歴史の流れを、広大な土地に点在する建物で見ることが出来る珍しい史跡です。かつては砂漠に囲まれた場所が、今は綿花や小麦畑に囲まれた場所になっていました。メルブ観光拠点のマリの街は整備され、よりレベルの高いホテルが建設中でした。現地ガイドさんは、マリの女性はトルクメニスタンで最も美しいと自慢していました。

 今後はアジア大会開催に向け道路整備が進むので陸路の国内の移動は楽になるでしょうが、国境の手続の面倒も何とかしてならないものかと今回も思いました。
(寄稿者:トルクメニスタンコース団長 中村 達郎)

2 「アハルテケ−汗血馬−」に試乗
 今から18年前の1996年5月、初めてウズベキスタンを訪問いたしました。当時、歴史的に主要な各都市を訪問した際の印象とは異なる現在、近代化の波の真只中にあり変貌を遂げた各都市は、まるで異国に来たかのようで驚きの連続でした。

 一方、トルクメニスタンは未知なる社会主義共和国、大統領独裁政権の国とは?と少々不安に思っていたのですが、見事にその思惑は覆され、人々は明るくフレンドリィーであいさつを交わしあい、特に高齢者が大切にされ居場所があり幸福そうな顔をしている姿を見るにつれ、天然資源に裏付けられた国力が国民一人一人の生活を豊かなものにしていることがうかがえました。

 私は年女午年で「アハルテケ−汗血馬−」を見ることを楽しみにしていました。あまりに美しい玉虫色の毛並にうっとりし、試乗させて頂けたことは大切な思い出です。お金を賭けない競馬も楽しめました。歴史的遺跡も発掘作業中のものが多く、あまりきれいに手を入れすぎないように望むばかりです。往時の東西交易の拠点としての空気を満喫したよき旅となりました。
(寄稿者:宮本 享子)

3 トルクメニスタンでの日本語教育
 私がトルクメニスタン訪問チームに参加しようと決めたきっかけは、10年ほど前に、東芝国際交流財団に働いていた頃対日理解促進事業の一環として、トルクメニスタンでの日本語教育に係わり合いを持ったことによります。

 2004年頃、当時サマルカンド外国語大学で、日本語を教えていた山本雅宣先生がトルクメニスタンのアザデイ言語大学に移籍され、トルクメニスタンで学生に日本語を教えるようになりましたが、教材不足を訴えておられました。東芝国際交流財団は、その後5年間にわたり日本語教育のための図書を 寄贈し、現地における日本語教育を支援しました。

 アザデイ言語大学から送られてくる図書室の写真には、必ず故ニヤゾフ大統領の肖像画を背景に並んだ図書が写されており、大統領の存在を尊ぶこの国の事情を是非知りたいと長い間思ってきました。

 トルクメニスタンは、天然ガスの産出量では世界4位、また石油でも10位以内に入っており、天然資源が豊富な同国では、市民には電気、ガス、教育が無料で提供され、生活レベルも結構良く、さらに治安も良く人々も親しみやすい印象を受けました。街の建造物などには大理石が多く使われており、その使用量は世界で一番多くギネスに登録されたそうです。

 一方、ウズベキスタンを訪問した折には、ブハラのジャパンセンター訪問し、日本語の授業に参加して熱心な学生さんの様子をみてきました。2007年に東芝国際交流財団から寄贈した書籍も 大切に保管され、生徒達に本の貸し出しも行われており、在籍生徒数は20名程ですが、日本語だけではなく、書道、折り紙、着物(ゆかた)など日本の文化、芸術にも大変興味をもっている学生が多いそうです。
(寄稿者:菊田 司津子)

4 実際に行ってみたら・・・随分違った
 トルクメニスタン。まちの至る所にある金ぴかの前大統領の銅像、公共の建物に掲げられている現大統領の顔写真と見ると北朝鮮並みの独裁国家というイメージそのままである。しかし実際に行ってみたら人々の空気は随分違った。 庶民は陽気で人懐こく案外あけっぴろげ。観光に行った遺跡で出会った地元の人たちの野外宴席を覗いたら食事をしていけと誘われるし、若い人たちは携帯電話で一緒に写真を撮りたがる(スマホも結構普及しているようだ)。女性の民族衣装はカラフルでスカーフとの取り合わせのセンスがなかなかのものだ。

 石油、天然ガス等の豊かな天然資源のおかげで社会保障はかなり行き届き国民の貧富の差もあまりないらしい。これから順調に経済発展していけば良いのだがと思う。観光のためにはアクセスの悪さを何とかして欲しいが。
(寄稿者:須賀 節子)

5 豊かな水に囲まれ生活できることの幸せ
 帰国時飛行機が成田上空にかかり高度を下げてゆくと、田植えを待つ満々と水の張られた田んぼが見えてきました。旅をしてきた国々の土と砂に覆われ、時にはところどころ真白く塩が吹き出た大地が思い出され、豊かな水に囲まれ生活できることの幸せを感じた一瞬でした。風が吹きわたり鳥のさえずりが聞こえる遺跡群の中を歩きながら、厚い土の天井と壁に囲まれ、火を拝した人々の暮らしに思いを巡らしました。徐々に発掘がなされ、どんな「第五の文明」が現れるか楽しみです。

 個人的には、一日をいただきこれまで成田の「子供絵画展」に自主参加を続けてきたヌクスのこども図書館館長ズルフィアオパにお礼を言いに行き、50人からの子供たちと「軍手にお絵かき」を楽しんだことが忘れられません。現地海外青年協力隊員今村さん、松本さんに大変お世話になりました。
(寄稿者:永峯 和恵)

6 若い女性たちに囲まれ・気分は映画スター
 5月9日 トルクメニスタンでは、戦勝記念日(祝日)です。この日 私たちは、ウズベキスタンから陸路で入国し、世界遺産・クフナ・ウルゲンチ(古代ホレズム王国の首都)を観光。中央アジアで最も高いクトゥルグ・ティムールのミナレットを見学していると、目の前に現地の若者が来て、指で四角を作り、私たちの方に向けて「写真を撮ってもいいですか」と言うポーズをする。OKを出すとその人のグループと思われる大勢の若い女性が私たちと並んで交互に写真を撮った。若い女性たちに囲まれて気分は映画スターである。

 その後も、多くの若者たちから「ハロー」と声をかけられた。実にフレンドリーである。 旅行前の説明会で、北朝鮮と同じような独裁国家であると思ったので…赤いネツカチーフの少年や少女が「アメリカ打倒」などと叫ぶかと想像していたら大間違いであった。特に女子学生などに囲まれて喜んでいる男性陣を見て、Nさんが、20歳ぐらい若返ったようだと言っていた。それならば、20周年の旅行にも参加できそうだ。
(寄稿者:丹生 康之)

7 アシュガバードは光の海だった
 巨大なビルがそびえ立ち、前大統領、ニヤゾフの金色の銅像があちこちに建っており、何処へ行っても現大統領の肖像写真に出逢う。建物の色は白く塗られ、車までがほとんど白く塗られている。夜ともなれば、町中がライトアップされ、まぶしい光におおわれる。トルクメニスタンの首都、アシュガバードは、歴史や伝統の面影はまったくなく、人工的なたたずまいを見せていた。 これまで、トルクメニスタンは、中央アジアの北朝鮮と言われ、私は、かってに暗くきびしいたたずまいのイメージを持っていたのだが、この印象は、みごとにひっくり返った。

 また今度の旅は、パルティアやゾロアスター教など、私の古代への関心を呼び起こしてくれる旅であり、とても実りの多いものだった。
(寄稿者:水野 慶三郎)

8 自然と共存する発展を!
 2014年5月、ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境、凸凹道を荷物を引いて歩く炎天下。歩いて渡ったアムダリアの浮き橋、水量と水勢。ラクダ飼の少年、サクサウールの寺院。1998年3月、はじめての中央アジア。Almatyでは木炭を炊いて走るバス。鈴なりの路面電車。星空は美しく天の川がはっきりmilky way。この自然を保たなければ。発展は国力である。自然と共存する発展を! Sustainable Future!
(寄稿者:千葉 百子)

9 古代と現代
 このたびトルクメニスタン世界遺産紀行ツアーに参加し、あらためて標記のことに思い至った。クフナ・ウルゲンチやメルヴの遺跡などで、聖地(廟)を拝しに来た市民が、左廻りに3回旋回したり、2つの石塊を地面に立て三角推状にして拝する等の民俗に接したが、紀元前イランに始まるゾロアスター教の遺風との説明を受けた。それでは、2、3千年前の物理的過去が現前することへの驚きとは一体何なのだろうかという眩暈(めまい)を覚えた。
(寄稿者:星野 紘)

10 トルクメニスタンの旅
 北朝鮮以上の独裁国家、神よりえらい大統領、徒歩での灼熱の国境線越えの強烈さ、入国出国は担当官の気分次第、奇妙な建造物、白の都、秘密警察とんでもない国に来たと思いました。しかし、その昔漢の武帝やチンギスカンが欲しがった汗血馬に乗る事が出来ました。又、行く先々で背が高く精悍な風貌のトルクメニスタンの女学生達に囲まれ、とても楽しい旅になりました。最後に、市場で買ってくれと金鎚を振り上げて仁王立ちで叫んだお姉さん、凄過ぎました。
(寄稿者:佐々木 透)

2014年06月22日(掲載内容追加)

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