──第16回中央アジア日本語弁論大会──
(ウズベキスタン代表の原稿紹介)
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5月12日にウズベキスタンはタシケントで開催された首題の件について、5名の原稿を紹介します。なお、文章は原文(=日本語)のままです。
1 Hasanov Firdavs(ハサノフ・フィルダフス(サマルカンド外国語大学))
「年をとった学生」>>You Tubeに大会の模様がアップされています |
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皆さんこんにちは。私は今日、皆さんに、年をとった学生の生活についてお話したいです。年をとった学生、それは私のことです。
私は今、29歳です。10年前、サマルカンド調理師高校を卒業しました。そのとき大学に入るべきでした。でも家の経済状態がよくなかったので、レストランで調理師の仕事を始めました。そして大学のことを忘れてしまいました。サマルカンドのレストランで7年間、その後モスクワのレストランで3年間働きました。2006年に弟が日本語の勉強を始めました。私も日本語に興味を持ち、弟に習い始めました。
去年、私がモスクワから国に帰ったとき、弟も夏休みで日本から帰りました。私が「新しい未来を切り開きたい。大学に入って勉強したい。でも、もう年をとり過ぎてしまったからなあ」と呟くと、弟が「生きることは学ぶこと、学ぶことはいきること」という日本のことわざを教えてくれました。このことわざを聞いて、私も大学で勉強しなければならないと思って、サマルカンド外大の日本語学科に入学しました。ついに私も学生になりました。
8歳下の弟は4月から東京の大学で勉強を始めます。私の同級生たちは10年前に大学に入っています。今の大学には私より年下の先生もいます。それだけではなく、私はもう結婚しています。二人の娘がいます。長女は5歳、次女は1歳です。日本に子供がいる学生がいますか。ふつうはみんな大学を出て、会社に勤めて、それから結婚しますね。私は逆です。働いて、結婚して、それから大学に入りました。考えてみたら、私が大学を卒業するとき長女は小学校の4年生になります。
実は、子供がいる学生の生活は難しいです。朝早く、娘を幼稚園へ連れていきます。それから大学へ行って午後3時まで勉強して、その後娘を家へ連れて帰って、走って仕事に行きます。10時までレストランで働いて、家へ帰って、遅くまで宿題をします。時々、宿題をするとき子供たちがむずかって、私の邪魔をします。ある日、娘が私の数学のノートに花の絵をかいてしまいました。この間、妻は新しいコートを欲しがり、娘は自転車を欲しがりました。私は、「ちょっと待って。僕はまだ学生だよ。それは経済的に大変だよ。4年後、大学を卒業した後で」と言いました。それに、学費もかかります。妻は、「大学にかわいい女性が大勢いるから、恋人ができるかもしれません」と言いました。私は、「日本語が僕の恋人です」と答えました。
私は少年のときから、自分の国を世界中に知らせるという目標を持ちました。私は日本語だけでなく、日本の文化、経済、科学技術を学ぶ予定です。自分の国を成熟した国にするために一生懸命頑張ります。私はウズベキスタンと日本の懸け橋になりたいのです。やっとチャンスが来たのです。
「どうしてそんなに遅く大学に入ったのか」と友達に言われましたが、私は、「遅くなっても、始めないよりいい」と答えました。皆さんもそう思いませんか。
でも、年をとると学生の生活は難しくなります。できるだけ若いうちに学んでおいたほうがいいと思います。私の例でわかるように、人間は、年をとればとるほど問題も多くなりますから。
生きることは学ぶこと、学ぶことは生きることです。私は、このことわざを死ぬまで忘れません。生きている限り、学び続けます。
2 Nurullayeva Mehriniso(ヌルラエヴァ・メヒリニソ/UJCブハラ分室)
「メヒリニソの日記」
みなさんの大好きなものは何ですか。私は日記が大好きです。今日は私が日記を書くようになったきっかけと、日記を書くとどんな良いことがあるのかお話したいと思います。
日記を書くようになったきっかけは2つあります。私も以前は日記を書くより秘密を守ったほうが良いと考えていました。しかし中学生の時にあったある出来事が、私の考えを変えました。私の親友が同級生の男の子を好きになりました。しかしその男の子は友達を無視したり、冷たく当たったりしていました。私は友達をどうやってなぐさめればいいか分かりませんでしたが、うちへ帰ってからその日のことを紙に書き始めました。二人の関係について、事実とは違う、私の希望を詳しく書きました。面白いことに2ヵ月後、私が書いたまさにその通りに二人の関係が変わっていきました。
その男の子は、友達の誕生日に私が書いたように、カーネーションと写真立てをプレゼントし、彼女に愛の言葉をつげました。友達も私もとても喜びました。
2つめのきっかけは、日記について書かれた本を読んだことです。
その本によると、日記に毎日の出来事を書くというのは、客観的に自分のことを評価するために、大切なことだそうです。日記に自分の希望を書くと、脳から出されるエネルギーが、その人が想像した通りになるように周りに働きかけるそうです。それを読んで、友達のことを思い出し、本に書かれていることは本当だと信じることが出来ました。この2つのことがあってから、私は日記を書き始めました。
また、私の日記を他の人が読めないように自分のアルファベットも作り出しました。だから私の日記は私しか読めない日記です。それに、漢字を覚えるために、日本語でも日記を書くつもりです。日本語で書けば、家族は誰も読めないでしょう。
みなさんは、日記を書いていますか。もし書いていないとしたら、なぜでしょうか。たくさんの人に聞いた結果、多くの人は誰かに読まれるかもしれないし、書くのに時間がかかると思って日記をつけていないことが分かりました。それなのに、そんな人たちも、日記を書くのは楽しそうだと思っているようです。
時々友達に自分の日記を読み聞かせてあげることがあります。そんな時、「よくくわしく覚えているね。」とびっくりされます。また、彼女は「日記を読んでもらってから、人間にはその人が気づいていないうれしいことや楽しいことがたくさんあるって分かったよ。」と言って、日記を書くようになりました。
小説家になることも日記を書くことから始まるのではないでしょうか。私も自分の日記を読んだら小説を読んでいるような気持ちになります。おもしろかったことを思い出してわらったり、あやまちをもう一度考え直したり、日記に合った写真もはっていますので、本当に小説みたいです。
心理学者の話によると、日記は人間にとって必要不可欠なものだそうです。なぜなら、悲しいとき、そのことについて誰にも言えないとき、それを日記に書けば、誰かに話しているように自分でも感じるそうです。そうすることで、自分の中にある悪い感情を追い出せます。また、嬉しいことを書くと、脳から若くなる物質が出るそうです。
以上のように、日記を持つのは本当にいいことです。ですから、みなさんも今日から日記を書いてみませんか。私も今書いている日記をとっておくつもりです。何年かたってから読めば、若い時の自分に戻れます。それに、自分の子孫にもうけついでもらいたいです。将来私の孫が私の日記を元にして小説を書いたり、コメディ映画を作ったりするかもしれないですから。
「アンネの日記」という有名な本のように「メヒリニソの日記」は世界中でベストセラーになるかもしれません。
3 An Svetlana(アン・スヴェトラーナ/UJC)
「セーラームーンよりかっこいい」
皆さん、自分のヒーローを持っていますか?大部分の人が子供のときは持っていたけど、今ではほとんど持っていないと思います。なぜかというと、子供のときは我々のヒーローとして物語や映画の主人公がいました。一般に彼らは普通の人ではなくて、魔法の能力を持っていたみたいです。私たちはその主人公を見て、「へえ、すごいな!私もいつかその人みたいになりたいな」と思っていましたが、大人になるにしたがって、魔法の力を持つことができないことがわかってきました。みんながっかりして、忘れてしまって、今の人の大部分がヒーローを持っていないかもしれません。今日は、自分のヒーローについてお話したいです。
皆さん、セーラームーンというアニメを見たことがありますか?おそらく女の子の大部分が見たことがあると思います。セーラームーンにはハンサムな彼氏、タキシード仮面がいます。子供のときセーラームーンは私の大好きなアニメでした。なぜかというと、私はタキシード仮面を本当に愛していて、結婚したかっただけでなく、セーラームーンみたいなかっこいい戦士になりたかったからです。
しかし、大人になるにつれてなぜセーラームーンみたいになりたかったかわかってきました。子供のとき私はシャイな女の子だったので、自分を守ろうとできなかったから、けんかをしないようにしてばかりいました。それで、私はセーラームーンのような強くて、自信をもっている人になりたかったです。けれど、セーラームーンは実在の人ではなくて、ただアニメの主人公だから、「本当のヒーローって何だろうか?」という質問を自分にしました。私にとって、ヒーローとは魔法の力を持っている人ではないとわかってきました。私のヒーローとはいさましくて、かしこくて、無欲で、公正で、心が強い人です。そんな人を見て他の人も強くなりたいと思うかもしれません。
去年私の母は韓国へ働きに行ったので、私は一年間父や妹と一緒にすみました。こうして、私は母がやってくれていた家事をすることになりました。今まで難しくなさそうに見えた家事が本当に大変でした。なんとなくすごく疲れて、いつもいらいらしていました。そんなとき、思い出したのが、母は仕事が終わって、午後6時ころうちへ帰って、すぐ晩御飯を作ってくれました。そして、疲れても、悩みがあっても、いつも笑顔でいて、私のその日あったことを聞いてくれました。こうして、母は私の第一のヒーローになっていきました。
友人は私の第二のヒーローです。なぜかというと、彼らは私に足りない良さを持っていますから。親友のグリジャナは毎日私を驚かせます。彼女が信じられないほどすばらしい性格の人ですから。背が150センチメートルしかないのに、彼女はいつも性格が弱い人、特に男の子を守っています。セーラームーンはそんな身長だったら、そんなに勇ましい人のようにみえないかもしれません。また、グリジャナはいつも回りの人の気持ちについて考えて、いつでも助けて、支援して、苦しんでもぼやかない人です。私は友人を見て、今の自分と比較して、強くなりたいと思います。
皆さん、自分のヒーローを失わないでください。持っていなかったら、見つけてみてください。なぜなら、本当のヒーローは我々の身近にいますから。彼らはアニメとか映画の主人公のようなマッチョな体や魔法の能力を持っていないのに、毎日小さい英雄的な行為をしているかっこいい人たちです。そこで、私たちは自分よりすばらしい人、つまり身近なヒーローと比較して、その人を目指して努力したら、私たちは彼らみたいに強くて、いい人になっていくばかりでなく、毎日小さい良い行いするようになると思うのです。そうするとひょっとしたらある日、私たちもだれかのヒーローになれるかもしれません。
4 カディロワ アジザ(世界言語大学)
「アニメの影響と親の責任」
みなさんは子供のころ見たり、聞いたりした、おとぎ話やテレビアニメを覚えていますか。私は幼稚園生のとき、先生が「今日はアニメを見ましょう」と言って、窓に黒いカーテンをした特別な部屋へ連れて行ってくれるのを楽しみにしていました。その時のことを思い出したら、もう一度子供のころに戻りたくなってしまいました。
私が子供のころに見たアニメには、うさぎ、くま、きつねなどの動物や、かわいい女の子や、優しいおばあさんが出て来て、みんなと仲良くしていました。それはいつも私を楽しませてくれました。どんなお話も、考えを豊かにすること、良いことと悪いこと、みんなと友達になること、弱い人を助けることの大切さを教えてくれました。
しかし、最近のアニメはとても変わりました。動物や、かわいい女の子や、やさしいおばあさんが出てくるアニメは少なくなってしまいました。その代わりに、すぐけんかをしたり、殴り合ったり、人を傷つけたり、町を壊したりすることが多くなりました。そして主人公のヒーローは簡単に敵を倒します。子供達はこれを見てヒーローが良いことをしたと思うのでしょう。本当にこの主人公を、ヒーローと呼ぶことができますか。子供達はこれを見て、何が良いことか、何が悪いことか、分かるようになるのでしょうか。このようなアニメは、子供達の将来にどんな影響を与えるのでしょうか。このことについて考えてみてください。
私は今、タシケントに姉家族と一緒に住んでいます。姉には子供が3人います。姉は、家のこと、仕事、大学院の勉強と、毎日とても忙しく、どんな内容のアニメかを気にしないで子供達に見せます。ですから、自分の子供達がどんなものを見ているのかを知りません。子供達は、両親は忙しいですから、邪魔をしないように静かに座ってそれを見ます。私の10歳の甥はアニメを見ることがとても好きです。アニメを見た後、いつもヒーローのまねをして「手を挙げろ。」「動くな。」「お前を捕まえる。」と13歳の自分の姉に向かってします。私はそれを見て「そういうことをしていいの?」と聞きます。甥はこのようなことが良くない事を分かっています。でも、面白がってやめません。また、最近の子供達は自分にもアニメのヒーローのような力があると思い込んで、学校で他の子供とけんかをしたりします。そして、人を傷つけているのに自分はヒーローだと振る舞います。
私は姉家族と一緒に生活をしていて、アニメを見て子供達がどう成長していくか、どう影響を受けるかを近くで見ています。ですから、今の子供達が人を傷つけることをゲームのように思ってしまわないか、心配です。アニメは、しつけの一つだと思います。子供のころ、アニメに悪い影響を受けた人は、大人になってからもよく、悪い事を言ったり、したりすると思います。その時、その人に「それは悪い事ですよ。」と言ってももう遅いです。私たち大人は、子供達が暴力などで人を傷つけないように、悪いことを覚えないように、子供と一緒に座ってアニメを見て、良いことと悪いことを説明する必要があります。アニメを作る人は子供に与える影響を考えて作らなければならないと思います。
みなさん、あなたの兄弟や、あなたの子供はどんなアニメのヒーローが好きですか。本当にそれはヒーローですか。私はこのことをみなさんにも考えて欲しいです。どんなに忙しくても、子供と過ごすこと、子供のことを考える時間を惜しまないでください。みなさんが本当のヒーローを子供達に教えてください。
5 ナジロフ ジキリロ(世界経済外交大学)
「マナー と サービス」
皆さん、ウズベキスタンのマナーやサービスについてどう思いますか。今日はそのことについて話します。
マナーという言葉は、国や宗教によって異なる意味を持ちます。例えば、ヨーロッパでは挨拶をする時、帽子を脱ぐことが礼儀正しいとされています。しかし、ウズベキスタンでは帽子を脱いで挨拶することはほとんどありません。どちらも正しいマナーですが、国や宗教によって正しいとされていることが異なります。
もう一つおもしろい例を上げます。皆さんの国では親しくない人に年齢を尋ねることは良いことですか、それとも失礼なことですか?ウズベキスタンでは“何歳ですか”ということを日常会話の中で多く聞きます。しかし国が違えば、マナーも違います。私は日本語を勉強し始めた頃、何も知らずに日本人の女性の先生に年齢や結婚しているかどうかについて聞いてしまいました。先生はとても困った顔をしていました。ウズベキスタンでは皆普通に答えるのに、なぜこの先生は困っているのだろうと思いました。しかし後で日本の文化を授業で勉強したときに、日本では親しくない人に対して歳や家族のことについて軽々しく聞くのは失礼だということを学び、私はとても恥ずかしくなりました。
次にサービスについて話します。ウズベキスタンに来たことがある外国人の方は感じたことがあるかもしれませんが、ウズベキスタンではサービスがあまりよくないです。はじめに空港のサービスについて考えてみましょう。皆さん空港では明るい顔で迎えられるのと怖い顔で迎えられるのでは、どちらがその国に来たくなりますか?もちろん笑顔で迎えられたほうが、気持ちがいいと思います。また、入国審査の時に順番を抜かすウズベク人も少なくないです。この行為は、多くの人に迷惑をかますし、外国人のお客さんたちに全ウズベク人が悪い印象をもたれてしまうでしょう。空港は多くの人々が利用するウズベキスタンを表す顔の役割を持っています。もちろん持ち物の検査などを厳しくしないといけない場所ですが、職員の態度や言葉遣いなどを優しく丁寧に行い、利用者もマナーを守れば外国人がまたウズベキスタンに来たいと思うでしょう。
次に空港から出たら、外国人の皆さんはどのような問題に直面しますか。そうです、タクシーです!みなさんはウズベキスタンのタクシーは便利だと思いますか?私は外国人にとってとても不便だと思います。なぜなら、ウズベキスタンのほとんどのタクシーは外見でタクシーだと分かりません。道を走っている普通の車を捕まえなければなりません。またほとんどのタクシーに料金メーターが着いておらず、値段交渉しなければタクシーに乗れません。それは言葉がわからない外国人にとって、とても大変なことです。中には言葉がわからない外国人に対して普通より多くの値段を請求する運転手も少なくありません。しかし、このような状況に対して嬉しいニュースがあります。今年からウズベキスタンではタクシーが登録制になってすべてのタクシーに料金メーターをつけることが義務になりました。また、タクシーの運転手は全く知らないお客さんにいろいろな個人的な質問“どこで働いていますか?給料はいくらですか?”など聞いてきます。マナー的には、運転手はお客さんに何も話しかけないで運転に集中することが礼儀正しいのではないでしょうか。タクシーの運転手もお客さんに対するサービスやマナーを、もう一度考えてもらいたいと思っています。このように小さなことから一つずつ直していけば、ウズベキスタンはさらに良い国になるでしょう。
まだまだ改善しないといけないマナーやサービスがウズベキスタンにはたくさんあります。しかしそれを改善するのをウズベキスタンの政府に頼るのではなく、国民一人ひとりが私が言ったような問題を良くしていこうという気持ちを持つことが大切だと思います。皆で多くの人から好かれるウズベキスタンにしていきましょう。
ご清聴ありがとうございました。
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2012年06月29日(掲載内容追加) |
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