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─ 平 城 遷 都 1 3 0 0 年 祭 に ─ ウズベキスタン商工会議所が参加
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ウズベキスタン商工会議所のシャイホフ会頭(初代日本大使)より「物産展のようなものを日本で開きたい。」との強い希望があり、「平城遷都1300年祭の交流ホールへの出展」を紹介しました。参加が決まったものの、なかなか具体案が奈良の実行委員会に届かず、関係者をやきもきさせた1年間でした。
それでも10月28日には18名の参加者が元気に揃いました。平城宮跡の一角にある交流ホールでイランの「絨毯展」と会場を分け合い、本国から持参した8本の木製の柱と飾り屋根を設置し、頭上にはアトラスの布地を波のようにうねらせ華やかなシルクロードのバザールが出現しました。
一行は、タシケントのアブドゥール・ハシムメドレセに工房を持つ木工・刺繍・細密画・織物・宝飾品・人形制作などの職人さんたち。初代ウズベキスタン大使の孫崎さんが奇跡的に窯場を発見したというギジュドワンの陶芸家アブドゥールさん、リシタンの陶芸家ルスタムさん、ヒワのイチャンカラで人形のお店を持つ人形使いマンスールさんなどのお顔も見えます。マンスールさんは、2回にわたって「まほろばステージ」で、マリオネットの舞台を披露し、子供さんたちに喜んでもらいました。
最初は天候不順と事前の情報不足のため宣伝が思うように行かず、少々苦戦でしたが、チラシ配布、実行員会の度々の場内放送、「せんとくん」訪問などのご協力で徐々に人の流れが出てき、最終日の11月3日は大変な賑わいとなりましした。
1週間前には、2日間でしたが、駐日ウズベキスタン大使館が交流ホール全館を使っての「ウズベキスタン展」を行い好評だったとかで、それを覚えていて「また来ました」、「ちょっと寄ったら面白くて」などのリピーターも現れ、ついにはチラシ配布のお手伝いをしてくださる方もいました。リシタンのルスタムさんの窯場を何年か前訪れたことがあるという仲川奈良市長(大変お若い!!)には、3日目と最終日の2回会場にお越しいただきました。
大阪大学の奥真裕さんが「トルコ語ですが。」と通訳のボランティアを引き受けて下さり、初日と最終日(この日は後輩の2人を連れて)職人さんたちとお客さんの橋渡しをして下さり皆さんから感謝されました。
(寄稿者:事務局)
■ 以下はその奥真弘さんからのボランティア参加の感想です(一部抜粋)。
Salom(サローン)。僕は大阪大学でトルコ語を専攻している学生です。ウズベク語は週に一時間の授業で勉強する機会を持ちましたが、それ以外にはウズベキスタンに旅行で行った時長距離電車のコンパートメントでであったおばさんたちから耳で覚えたつたないものでした。それでも何とかコミュニケーションは取れるかなという程度でお手伝いさせていただき、商工会のウズベク人の皆さんにはとても喜んでいただけたようで、何よりでした。
ウズベキスタンと日本、住んでる場所も民族も違った環境で育っているのだから、もちろん文化的摩擦は生じるものですが、僕は今回のお手伝いでそれを顕著に感じました。彼らの販売の方法では、なかなか日本人のお客さん方にはなじんでもらえず、せっかく興味を持ってもらっているのに、買ってもらえないということも多かったのです。それは、お客さんへの声のかけ方、商品陳列の仕方、商品の包装、販売方法と実に様々でした。
日本人のお客さんにとっては当然出来ているべきことが、ウズベキスタンの常識ではフォローされていないということがよくありました。また逆も然りだったと思いますが、やはりお互いの文化を学び、それを生かすことは重要なことだなと、改めて考えさせてくれる出来事となりました。
僕にとっても言語だけでなく、そんな文化差やウズベキスタンの伝統工芸についてなど知らないことをたくさん学べるいい機会になりました。僕は言語を専攻していますが、言語がお互いのコミュニケーションを円滑にするという目的だけでなく、言語学習を通じて相手との親密度を上げるツールとしてもうまく作用するとい信じています!
これからも、ウズベキスタン、または他のトルコ民族のことをたくさん知って、視野の広い大人になりたいです。
(寄稿者:奥 真裕) |
2010年12月04日(誤植訂正) |
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