ルティフィロさんとディリアフルズさん、結婚おめでとう
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協会の会員の皆様に愛されているルティフィロさんとディリアフルズさんが結婚されました。本国に帰っての結婚式・披露宴と日本での披露宴でのお二人は、まさに美男美女の似合いのカップルだったとのことです。
末永くともに歩んでいかれることを祈り、お二人から寄せられた、「結婚の報告」をご紹介いたします。
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結 婚 の 報 告 |
皆様、大変ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしのことだと思います。
私達もお蔭様で元気にしております。
ご無沙汰している二人ですが、お蔭様で大学を無事卒業し、ルティフィロは今年の
4 月から金融関係の仕事に就き、ディリアフルズは去年の
9 月からウズベキスタン航空の代理店にて勤めております。この度私達ルティフィロとディリアフルズは結婚しましたので、ご報告させて頂きます。そして今後とも皆様のご指導・ご応援の程を宜しくお願い致します。
私達、ルティフィロとディリアフルズは 2007 年 6 月
29 日にサマルカンドで結婚式を挙げました。二人ともその日をワクワク・ドキドキしながら待っていました。結婚は一生に一度ある重要なイベントであり、その日が新郎と新婦が主役の日でもありますからとても楽しみにしていました。
結婚式の 1
週間前からサマルカンドに里帰りした二人は結婚式までにとても忙しい毎日を過ごしました。新婦は早速ウェディングドレス選びや美容室選びで、新郎は結婚式場やまたいろいろな細かい手配のことで忙しい一週間が続きました。結婚式という楽しいことの一生に一度しか味わえることのできない準備でしたので、もちろん楽しいことばかりでした。
いよいよお待ちかねの 6 月 29 日がやってきました。早朝から両家はナホル(朝のプロフ)、その後新郎家は新婦家へ新婦を迎えに行く準備、新婦側はお客さんを迎える準備で大忙し。新婦は朝から友人に囲まれ、緊張しながらも美容・衣装の着付けなどで大忙し。
いよいよ新郎が来る時間になり、遠くから音楽の音が聞こえてきました。そして、友人や親戚に囲まれた新郎の到着。それから伝統的な行事が開始。その後結婚届をするイベント、結婚届のとき、係りが「本日からお二人は一つの家族になりました」と言われたときに自分達が結婚したんだなという風に心の底から実感しました。
夕方 7
時からウェディング・パーティが始まりました。広い結婚式場を歩く二人は常に大勢の来客の暖かい視線を感じていました。そして新婦の私が一番吃驚したことは、なんと私のアイドル歌手が結婚式にステージで私の一番好きな歌を披露しながら私達を祝福してくれていました。
自慢しているわけではありませんが、私達のウェディング・パーティは今まで見てきたなかで一番素晴らしかったです。大きくて豪華に飾られているレストランは大勢の人で溢れており、来客に暖かく祝福されていた二人は本当に幸せな気持ちで一杯でした。
残念ながらサマルカンドの結婚式には、日本で今までにお世話になってきた大勢の恩人や友人が出席することが出来ませんでした。そういった方々をお招きして、2007
年 9 月 2
日東京の京王プラザ・ホテルにて再度結婚披露宴を行いました。70
人余の来客で、サマルカンドの結婚式の 10 分の 1
という人数でしたが、今回も日本の皆様の暖かい祝福を受けました。日本式の披露宴がベースになり、そこにウズベク結婚の特色—音楽や踊りを取り入れ、国際色豊かな披露宴になったかと思います。
今回日本で披露宴をしてみて、日本人のきめ細かさを改めて実感しました。ホテルのブライダル係はテーブルクロズの色からナプキンの色まで打ち合わせ、食器の色も打ち合わせ。花の色、花の数も打ち合わせ。とにかく披露宴当日の一秒一秒が打ち合わせでした。でも、お蔭でとても素敵な披露宴になりました。
サマルカンドから披露宴のため来日していた二人の親も日本でこんなにも大勢の方々に祝福された貴方たちは本当に幸せ者だね、これからもその絆を大切にしていって欲しいと言っておりました。
これからの二人の抱負はやはり、末永く幸せで明るい家庭を築いていくことです。そして、お互いを支え合っていくことです。自分達が思い描いていた理想な出会いがあったからこそ、その出会いを大切にし、笑顔の絶えない家庭を築いていきたいと思っています。
宗派は違いますが、結婚の誓いの言葉の中に、ある日本人の友人から聞いた言葉で、私達二人もとても好きになった言葉があります。
「富める時も貧しき時も、病める時も健やかな時も、
死が二人を分つまで一緒に人生を歩んでいきます」
というものです。
その言葉をこれからの二人の戒めとしていきたいと思います。
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(ルティフィロさん ディリヤフルズさんより)
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2007年9月30日(掲載) |