協会の活動状況・会員からの寄稿
SYMPOSIUM_4

アメリカ・イスラム・中国  新政権の日本外交を語る
9・11から5年——激動の国際情勢を多角的に分析


 別にその日を選んで開催したわけじゃないですが…(笑)。

国分 何故こんなことを言うかというと、一つの理由があります。正直言って中国研究を 30 年もやっていると中国の国内であれ日中関係であれ、もう何が起こっても驚かない。それぐらい、感覚が麻痺するぐらい、中国では毎日毎日何かが起こっている。問題が異常に多い。それこそインターネットで見ていると、あっちでもこっちでも次々に起きて、もう挙げたら切りがないくらい問題が頻発する。しかも、そのひとつ一つが全部深刻だという。しかし、そんな私のような人間でも先日、“上海の事件”が起こった瞬間は鳥肌が立った。こういうのは、久しぶりのことです。

 上海の事件というのは、上海の汚職事件のことですよね? 党の上海市党委員会書記らを捕えたという。

国分 汚職というのは多くの中国の幹部に蔓延していますが、それよりも私が鳥肌が立った理由は、何故この瞬間にこれが起きたかということです。実は今、ポスト胡錦濤が問題になっています。中国では、任期は 2 期と決まっています。1 期 5 年で 2 期。また、これは胡錦濤自身が認めているだけでなく、彼はさらにそれを強化する規定をさまざまつくっているくらいです。そして、そこから考えると、では昔は「誰が胡錦濤に決めたんだ?」ということが気になります。実は、それは 97 年に亡くなったトウ小平が決めたんです。トウ小平が亡くなる前に「次のリーダーは江沢民、そしてその次は胡錦濤」と決めていた。要するに中国はこういう政治体制で、民主的に選挙で指導者を選ぶというのではない。
 そうすると、2012 年には、胡錦濤の 2 期目の交替時期がきます。来年、第 17 回党大会が開かれて、そこで 1 期目が終わり、そして 2 期目の終わりは 2012 年。すると、今はどんな時期かというと、少なくとも来年の党大会では誰が次の後継者かを発表しなければならない。そして逆算すると、来年それを実行するためには、この秋に開かれる「 6 中全会(中央委員会第 6 回全体会議)」という党の中央委員総会である程度方向性を示さないと間に合わない。その「 6 中全会」が開かれる日程は今月 10 月 8 〜 11 日です。

 なるほど。日中・日韓首脳会談と同時並行で開かれるというわけですね。

国分 同時並行するには当然、理由があるわけです。胡錦濤氏にとってみると、それは内外共に権力を掌握するという。つまり最大の外交案件は日本で、日本に頭を痛めているというわけです。しかも彼自身「日本に甘すぎる」と言われていますから、ここは瞬間芸でやるしかない。つまり、党の大総会をやっている最中に、その日の午後にわざわざ時間を空けてまで“お呼びする”という。しかもこれほど緊急でありながら、扱いは国賓級で、夕食会まで設定するという。これは破格のことだと思います。また、その意味ではこれはもう胡錦濤の個人的判断、少なくともその側近グループの中だけでやっているとしか思えない。
 正直言って、今も内部には江沢民時代の勢力がまだたくさんいるんです。そして今回のような上海事件は、そういうグループの人たちが一部寝返りでもしない限り、起こり得ない。また最近では江沢民ですら「胡錦濤万歳」みたいなことを言い出してきましたから、皆がそうなってきている。まあ政治の世界ですから皆いつも、風見鶏のように情勢を見ていて、そして時が来るとワーッと一斉に雪崩れ打つわけです。
 そういう点でいくと、今回の日中首脳会談はものすごいタイミングということになります。だから、これは絶対に成功させなくてはいけない。その意味で言えば、胡錦濤にとっても正直、“靖国問題”は絶対に話したくない。というより、それについては議論したくない。何故かと言うと、私が聞いた話では、胡錦濤は最近靖国参拝中止を首脳交流の条件にしなかったことで党内でかなり批判されている。「どうして棚上げにするんだ!」「 けしからん!」ということで結構やられていたんです。
 今回のタイミングは 2002 年に胡錦濤体制が出来上がって以来、ようやく実際のスタートが切れる大変重要なときです。たとえば、その前の江沢民ですら、実際に権力を自分で固めるにはトウ小平が亡くなるまでできなかった。権力を委譲された 89 年から 8 年間ダメだった。その意味では、胡錦濤体制の新しい出発と安倍政権の新スタートが重なって、新しい日中関係をつくるということになります。これでようやく前向きの姿勢が取れるし、ちょっと強い言い方をすると、胡錦濤にある種の“貸し”ができる可能性が十分にあると思います。たとえば今度は、あちら側からも来ていただかないといけないし…と、そういう順番ですね(笑)。
 まさしく中国の中もそうした複雑な状況があって、丁度今このあたりがいいタイミングになってきた。だから私がちょっと心配なのは、こんなことはまずあり得ないと思いますが……、1980 年代に胡耀邦が失脚しましたが、ちなみに彼も日本問題に非常に甘い人だったわけです。日本と「友好!」ということを掲げて、そしてこれが主たるものではありませんが、ひとつの理由となり失脚しました。党内で孤立したんです。
 もちろん日本のほうも、胡錦濤だけではなく、中国のいろんな人たちと付き合っていかなきゃいけない。しかし今のこのタイミング、この瞬間というのは、別に胡錦濤を贔屓目で見ているわけではありませんが、向こうにとっても喉から手が出るほど魅力的だろう、と私は思います。


←目次に戻る                  次頁に進む→
 
2006年12月29日(掲載)
このページのトップへ移動する
© Copyright 2001 - 2021 The Japan-Uzbekistan Association. All Rights Reserved.
日本ウズベキスタン協会 〒105-0003 東京都港区西新橋1-17-1-3F TEL03-3593-1400 E-mail:jp-uzbeku@nifty.com
嶌信彦のホームページはこちら