ムラド君結婚しました その2
(大披露宴・花嫁の挨拶・ラマダン後のお茶会、等)
一連の結婚セレモニーは15日の夜そのクライマックスを迎えました。夜7時からの会場はレストラン「ナブルーズ」、招待客1000人。シャフリゾーダさんはとっても素敵なロングドレスを、日本留学を終え帰国したばかりのザリーナさんは和服を着て、揃って会場に赴きました。一瞬、「一体ここはどこ!」と驚くべき光景です。車・車・車・・・、カラフルなドレスの人・人・人・・・ これまで日本ではお目にかかかったことのない光景です。宮殿のような広い階段を昇ると大広間が開けていました。
日本の結婚式場の10倍もの広さがあったように思われました。とにかく「すごい!」披露宴会場です。飾られているお花も並大抵の大きさではありません。会場中央に高く設えられた新郎新婦と夫々の結婚立会人の方の席、その反対側にはミュージック演奏するグループの舞台がありました。来客のテーブルは左右に並び、その中央は、広いスペースとなっていました(後でわかりましたが、ここはダンスをするスペースです)。もしここで、モーツアルトの室内楽でも流れていたら、タイムスリップしてしまったような光景です。しかし、音楽を担当するのは、ウズベキスタン一番の売っ子グループ「シャフゾット(王子さま)」と歌手「ラシッド・ハリコフ」でした。すごい耳を劈くように拡大されたエレキ音楽とマイクのボリューム一杯の歌声が会場に響き渡り、鼓膜から現実に引き戻されました。
「結婚おめでとう」という音楽にのって、白いターバン様の帽子をかぶり、白い金ラメで飾られたコートを羽織った新郎と、白いウェディングドレスにベールをかぶった新婦が、登場しました。緊張した面持ちながら、広い花道を進んでいます。22歳と18歳のこの新しいカップルはビックリするほど堂々さと自信を持ってホールの中央を歩み続けています。民族の誇りと高い教養に裏付けられ、あたかも自分達の未来が限りなく開けていることを確信しているようでした。
披露宴では、大勢の来賓や親族のご挨拶が続きましたが、いずれも臆するところのない立派なスピーチでビックリしました。ご挨拶の度にお慶びのダンスが始まります。シャフゾットが「オイナイサン、オイナイサン・・・」(踊りましょう、踊りましょう、美しい目を輝かせて踊りましょう)と歌い、会場中央のスペースは各席から三々五々参加する踊り手で一杯になります。このCDのジャケットを飾ったのはシャフリゾーダさんで、以前大ヒット曲になったそうです。ラフシャン君は一生懸命踊ったお蔭で、翌日には腰痛を訴えるほどの熱の入れようでした。最後にムラド君からご両親・ご親族・会場の皆様に感謝の言葉がありました。この22年間を感謝を持って語っているのです。わたくしは立派な挨拶に涙があふれて止まりませんでした。この大披露宴は、夜の11時半まで続きました。
結婚セレモニーはその翌日も続きました。「ケリン・サロム」(花嫁の挨拶)という女性達を招いた朝食会がムラド君の家で行われました。5部屋の各テーブルの他に庭にもテーブルが設えられ、ご親戚や、ご近所の人々(そうです。3月にうかがった時にいつもにこやかに挨拶してくださったお向かいのおばさんもあの懐かしいお顔で、ビックリするような素敵なドレスを着て)が集まり、晴れやかな会が始まりました。花嫁のウミダさんは、別珍に金モールで飾った可愛いロングドレスを着て、ウズベクスタイルの帽子をかぶり、白いレースのベールをかけて各テーブルにご挨拶に見えます。ベールを上げて3回丁寧に皆様に挨拶してから、一人一人にお茶をサービスして回ります。厳粛な男性だけのプロフ式と対比して、今朝の「ケリン・サロム」は大変和やで、暖かくみんなで素晴らしい花嫁をお祝いしようという雰囲気が満ち満ちていました。食事が終わると、中庭に全員出て、順番に花嫁に結婚のプレゼントを渡すことになりました。プレゼントの度に花嫁はベールを半分上げてご挨拶です。100人ぐらいの人が一人ずつ・・・ そして、ムラド君の家からは、各人にお返しのお品をいただきました。また、また、音楽と踊りです。楽しい時・嬉しい時は、ウズベクの人々は身体で表現するようです。そう、あの向かいの家のおばさんも上手に踊っています! 誰もがとっても上手に踊ります。この3日間踊り続けた私は、ついに足に豆が出来てしまいました。
花嫁は、ナザロフ家の長男のお嫁さんとして、これから30日間いつお祝いのお客様が見えてもご馳走をしてお迎えできるように、民族衣装に身をまとい、お料理にお掃除に精を出すことになるそうです。そのために幼い頃から家の仕事を手伝わせ、お料理を教え、18歳の花嫁はすっかり主婦の仕事が出来るようなりっぱな躾を、ご一緒に住まわれていた賢いお祖母様から受けているのです。
私の実際の体験は此処までですが、お客様を迎える行事はまだまだ続くのです。11月にラマダンに入りました。ラマダンが明ける12月6日から3日間「ケリン・コリッシ」というイベントがあります。これは、「花嫁を見る」という意味で、3日間にムラド君の家には、何百人もの若い女性が入れ替わり立ち代り訪れ、文字通り「どんな素晴らしい花嫁さんが来たのだろうか。自分もあのように素晴らしい花嫁になりたい」と、興味を持つ人はだれでも結婚したての花嫁のいるお家を訪問しておもてなしを受けるのだそうです。そのためのケーキとお茶の用意で、花嫁はもちろん親戚の女性が集まって連日ケーキ作りの準備を始めたそうです。沢山の人々へのおもてなしをする花嫁はなかなか大変です。
家族関係・子供の躾・ご近所の方々との触れ合い、etc. 忘れかけていた私達の幼い頃に身近に感じていた情景が、そのままこのウズベクに生き生きと存在しているのです。ウズベクには、家族・親戚・老人を大変大事にし、若者もそうすることを民族の誇りとする暖かい人間関係のある社会が存在しているのだと知らされました。伝統は古臭いものではなく、疎かにしてはいけないもの、子孫に引き継いでいく一番大切なものではないでしょうか。懐かしい風景を見るような思いが残った、私には貴重な経験となったムラド君の結婚セレモニーでした。
(2003年3月19日掲載)
(林 経子)
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