在ウズベキスタン大使 河東哲夫様より当協会に寄稿いただきました。
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河東大使からの寄稿【第二回】
○経済改革に向けて
ウズベキスタンはこれまで、国民の生活を第一に考えるということで、急激な経済改革を避けてきました。アフガニスタンと国境を接し、IMUという宗教過激組織の活動もあって、社会の不安定化を招きかねない急激な改革はやりたくともできない、という事情もありました。しかし「九月十一日事件」を契機にアフガニスタンのテロリスト勢力が鎮圧され、同時にIMUも勢力を失ったことは、ウズベキスタンに大きな機会をもたらしています。
ウズベキスタンは中央アジアで最も工業化された国で、石油製品などについても自給体制を築いています。しかし外国からの直接投資を大幅に導入しない限り、経済の発展は遅々としたものに止まるでしょう。現在ウズベキスタンの輸出は綿花、金などに依存しえおり、工業製品は韓国との合弁で生産される自動車を除いては大きな競争力を持っていないため、外貨不足に悩まされています。そのため外貨の割当ては規制されがちで、外資企業は部品の輸入や利益の本国への送金に当たって不利な状況におかれることがあります。これでは、外国からの投資はあまり来ないでしょう。
この悪循環を断ち切るための措置が、現在ウズベキスタンがIMFとの間で話を進めている「現地通貨スムの外貨への交換完全自由化」なのです。これによって外国からの直接投資を増やして経済成長をはかる、通貨の交換自由化によって一時的に生ずるだろう、数年間の外貨不足はIMFや西側諸国の支援によって乗り切る、そうやって九十二年のロシアでのようなハイパー・インフレで国民生活が急激に悪化することを防ぐ、というわけです。
ウズベキスタンは地図をご覧いただければわかるように、中央アジアの真ん中にくさびのように位置しています。この国が不安定になれば、周辺諸国にも悪影響が及ぶでしょうし、テロリストの新たな温床にもなりかねません。日本はこの十年、経済援助供与国ナンバー・ワンとして、ウズベキスタンを助けてきました。円借款や輸出信用で建てられた紡績工場、製油精製工場などはウズベキスタンの経済自給化を大きく助け、領内を縦横に走る光ケーブル幹線も日本の援助で敷かれたものです。無償援助や小規模の「草の根無償」などによって、農業機械や医療機械が供与され、学校の設備が改善されています。三十名以上の要員を有するJICA事務所は、ウズベキスタンの国民生活のあらゆる側面についての技術支援を進めています。ここまで進んだウズベキスタンの国づくりを、経済改革によって大きく飛躍させることは、ASEANなどの諸国の発展を進んで助けてきた日本のアジア外交の不可欠の一環とも言えるでしょう。
○交流は多面に
日本では、ウズベキスタンが十分に知られているとは、まだ言えません。ウズベキスタンで日本が十分に理解されているとも、まだ言えません。ですから、交流は経済協力ばかりでなく、あらゆる分野にわたって発展させていかねばなりません。観光については幸い、直行便ができています。これはイスタンブールなど中近東へのトランジット便としても便利なものです。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァなど有名な観光地の他にも、フェルガナの古都コーカンド、西部のヌースクにあるユニークな「ソ連現代美術館」、タシケントに八十年代初頭ソ連で初めてできた非国営の劇場「イルホン」など、あまり知られていない観光や文化交流のパートナーはまだまだいくらでもあります。
日本語教育は、盛んになってきました。タシケントでは、高校でも日本語を教えているところがあります。ただ、日本の歴史、政治、経済、社会、文化などについての教師がほとんどおらず、その点が今後の課題になっています。
国と国の交流は、政府間以外の分野で盛んになってこそ、本物になります。最近では医療関係者を日本で研修させてやろうという方も当地に来られましたし、福島県の伊達町はフェルガナの青年を果樹栽培技術研修のために招待することを考えておられます。平山郁夫画伯は十二月に、タシケントに「カラバン・サライ」なる施設をオープンされ、セミナーなどを通じての東西文明の交流拡大をはかろうとされています。
政治、経済、文化、観光などあらゆる面での関係を盛んにしてこそ、カリーモフ大統領が七月に訪日されて「戦略的パートナーシップ」に関する政治文書に署名されたことが、生きてきます。ウズベキスタンがこうした文書に署名した相手は、日本とアメリカだけなのですから、我々はこうした大きな期待にこたえていかねばならないでしょう。(2003.1.15掲載)
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河東大使
1947年生まれ。
1970年東京大学卒業後、外務省入省。
以後、欧亜局東欧課長、在スウェーデン大使館・在ソ連大使館・在ボストン総領事館勤務等の後、在ロシア大使館公使を経て現職 |
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