|
|
一筆入魂(ジャーナリスト:嶌信彦)
第 71 回(オペラ史上に輝くナボイの「夕鶴」) |
「第七百回を越える”夕鶴”公演史上,いや日本のオペラの歴史にも残る舞台となることを確信しています」−中央アジアの『夕鶴』公演で,初日(八月二日)のウズベキスタン・ナボイ劇場の開幕直前に,これまで何度も『夕鶴』の演出を手がけてきた鈴木啓介さんは,涙ぐむほどの高揚感を持って思い入れを吐露した.
この連載で以前も紹介したが,ナボイ劇場はビザンチン風のレンガ造りの重厚な国立オペラ劇場で,その建設にあたったのは戦後旧ソ連のタシケント市に移送された日本兵約四百五十人だった.この劇場は一九六〇年代の大地震で他の公共建物がほぼ全滅した中で唯一ビクともせず,以来ウズベキスタンに”日本人伝説”を作るきっかけとなった建物だった.そのナボイ劇場で日本のオペラを上演し,しかも今回の観劇ツアーには,約五十年前に建築の総指揮だった永田行夫さんら建設従事者も加わっていたため,鈴木さんと出演者たちはいやが上にも歴史の巡り合わせに興奮を感じたのだった.
またこの公演はことし五月に亡くなった『夕鶴』作曲者の團伊久麿氏の追悼公演でもあった.じつは当初の予定では,シルクロードをこよなく愛した團氏自らが指揮することになっていたからだ.
さらに鈴木さんが大きく評価したのは,舞台装置,照明,技術,字幕などすべてにわたり現地のウズベキスタン人や日本人の留学生などとの共同作業で行われたことだ.また,鈴木さんによると,過去の『夕鶴』海外公演で子供の出演は,すべて現地の日本人学校の生徒から選抜していたが,「ウズベクの子供たちがこんなに上手に日本語を猛練習し,歌うとは思わなかった.はじめの不安は吹っ飛び,感激に変わった」という.
二日間の公演は,三階席までの約千席が超満員となり,拍手の嵐が鳴りやまなかった.特に二日目は,招待客中心の初日に比べオペラ好きのウズベク人が多かったせいか,観客の集中力,緊張度が劇場を覆い,主役のツウが鶴に変身し飛び立つ場面では,舞台と観客の一体感を肌で感じることができるくらいだった.
主催した国際交流基金の担当者や中山恭子大使も「日本の舞台装置や技術,特に照明のすばらしさなどはウズベク側のオペラ関係者に大きな感激を与えたようだし,こんな人的交流の深まった文化協力は初めてかもしれない」と初の”ユーラシア文化外交”に満足そうだった.カザフスタンの公演も成功し,フィナーレの舞台に立った團さんの遺影もパイプを手にして微笑んでいた.
この模様は九月三十日(日)午後五時半からTBSTV「報道特集」で放送の予定.
『財界』(10月9日号(2001)) |
|