協会の活動状況・会員からの寄稿
再び、ウズベキスタンを訪問−会員 加藤金太郎−

 2001 年 4 月 28 日,ウズベキスタン航空の日本との定期便の第一便が、今年の 4 月 28 日に就航しました。私たちもこの便で、再びウズベキスタンを訪問致しました。かねてより、私が 1945 〜 1948 年の頃にこの地で、日本人抑留者として、労働をしていた一員として、当時残念ながら、この地で命を落とした人々の、埋葬地、墓地の調査をしなければならないと考えていましたが、漸く今年、そのチャンスが到来しました。

 目的は、アンジシャン地区のチュアマ、ユージニ、アラムシュクとベカワード地区の調査でした。この調査に関しての準備を、数々のご配慮を賜りました皆様に御礼を申し上げます。お蔭様で、わずか 7 日間に、細かい調査をする事が出来ました。先ず、リシタンの大崎重勝様、同ガニシェル様、タシケントのシュハラツト、フウダイコフ様、スルターノフ様、ベゴワードのマブリューダ様そしてカミドーラ様、サマルカンドのルツトフイロ君にご協力を頂きお礼を申し上げます。

 4 月 28 日タシケント到着、早速 29 日スルターノフさんの抑留者博物館でチュアマ墓地にて埋葬者の名前の調査と 5 月 3 日のベゴワードでの調査の予定の作成を済ませ、4 月 30 日フェルガナ市へ飛び、大崎様グループと合流して、チュアマへ向かう。チュアマとユジーニ、アラムシュクの墓地と日本人の足跡を調査しました。翌 5 月 1 日はコカンドへ回り、リシタンを訪問、フエルガナ市内の墓地に参拝する。5 月 2 日フェルガナ市街を見学し午後の飛行機にてタシケントへ帰還し次の日のベゴワードへの準備を行う。ベゴワード地区では、当時ウズベキスタン国内で最も大きなブロジエクトと思われるハルハードスコイ、ゲース、ハルハード発電所の建設でありました。

 ベカワード地区には、1 〜 5 の収容所と中央病院がありました。最大一万人を数える人々がプラチナ(堰堤)、レグリアトール(調節ゲート)、発電所、そしてカナール(運河)、送電設備、セメント工場、鉄工場、とカナールの護岸工事、及び、原石の採掘、セメン原石、それを輸送する鉄路の整備と色々の作業に忙しく従事していました。しかし到着当時余りにも違いすぎる環境と、粗食、厳しい気候に多くの人々が命を落として逝きました。我々ももう少しで埋葬者としての仲間に加えられていたかも知れません。幸いチュアマへの転進と自身の健康の回復があり今日、再びこの地を訪問できているのです。

 思えば、墓地、埋葬地の整備こそ、早急になされるべきと考えています。以後、福島の宍戸様、大阪の中沢様、植田様、東京の山崎様、立岩様、又宮崎の池田様、神奈川の高渡瀬様他の皆様と協力して一日も早く、墓石の整備並びに、記念碑の建立を心がけています。
協会の皆様にも何卒ご協力賜られん事念じております。又日本ウズベキスタン協会の理事、香川二郎様、会員、鶴巻和子様には現地にて多大なご協力を賜りましたこと厚く御礼申し上げます。
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